長めの独り言置き場

家庭用ゲームの話題中心に、書きたいこと書いていきます。

結局は、この世界を拒む理由が無かった

 現在、Rockstar Gamesの『Red Dead Redemption 2』をPS4でプレイしている。進行具合としてはチャプター4まで進んでおり、メインストーリーの舞台が、おそらくゲーム内で最大規模かと思われる街に移った辺りだ。プレイ時間は20時間は経過していると思われる。今回は、本作をプレイした現時点での感想と、購入に至るまでに考えていたことのまとめを書いていこうと思う。

 2018年発売予定の作品として、『Red Dead Redemption 2』は、発売前から気になっていた。しかし、きっとプレイしてもすぐに投げるかもしれないと思い、予約することなく発売日を迎えた。RDR2に充分な魅力が無いからではなく、個人的に、2017年の末辺りから、ゲームに対する熱量を高く維持できなくなっているのが直接的な理由だ。そして必然的に、その熱量は、家庭用ゲームの話題について書いていくとしているこのブログを更新する意欲と等しい。余程でもないと更新する気は起こらず、前回のPSVRとアストロボットの体験などは「余程」だったと言える。つまりは、今こうしてRDR2について書いているので、RDR2も「余程」だということになる。

 発売日から数日経過して購入に至った決め手として、コレと言ったものはなく、単に「やっぱり気になる」から購入した。ただ、購入前にTwitterにて購入を渋るぼやきなどは垂れていた。RDR2発売後、これまでロックスターが送り出してきたカジュアルに遊べるオープンワールドアクションゲームと比べ、開発者たちの独善的なエゴを感じるとも言えるような癖のある仕上がりになっているRDR2に対して、ネット上で少なくなく湧き上がった戸惑いの声は観測しており、そういった反応を受け、RDR2に対して懐疑的な意見を幾つかツイートした。RDR2のどういった部分を懐疑的に捉えたかは、これからまとめて話していく。

 

 私にとって、ロックスターが今できる全てを注ぎ込み作り上げたRDR2の世界を拒む理由は無かった。私のゲームファンとしての経歴において、ロックスターのオープンワールドゲームは常に、ビデオゲームというエンターテイメントが、画面の向こうにあるもう一つの世界を体験するものだと提示し続け、それは紛れもなく自分が求めるものだった。そして、今回もロックスターは確かに約束を守った。画面の向こうには、1899年のアメリカ西部がもう一つの世界として広がる。コントローラを握れば、その世界の何に触れ、どこに行くかの権利が……すんなりと与えられるかというと、この作品は中々にプレイヤーを拘束するというのが事実だ。

 RDR2の評判として各所でも多く触れられているが、チャプター1はラスト・オブ・アスなどのようなリニアなゲームプレイとなっており、オープンワールドゲーム的な要素はほぼ皆無である。かつて、GTAシリーズにおける登場キャラクターの感情が伝わってこないドライなストーリーは、バイオレンスなゲーム内容と噛み合ったものとして、ロックスターのオープンワールドゲーム独特の味わいなのかと思っていたが、RDR2をプレイしていると、ロックスターとしては、そこは不本意な部分もあったのだろうかと思えてくる。RDR2のストーリーは、序盤からシリアスな雰囲気が漂い、主人公アーサーが属するギャングは、確かに強盗や詐欺などの犯罪を稼業にしている無法者集団なのだが、それは、この世界で自分たちが生き抜く手段だと考えており、彼らなりの節度や理念や美学を持っているという人間味が強く描かれている。主人公たちとは異なるギャングに襲撃され、家族と家を失い悲しみに暮れている女性を保護したり、親子や兄弟のようにギャングの仲間同士が想い合っていたり、小さな子どもは皆に優しく見守られながら健やかに育っている。そこには、笑顔、悲壮な顔、葛藤する顔と、人間らしい表情が数多く描写される。こういった登場人物たちの関係性や感情を丁寧に描くため、ストーリーはシリアスな映画のようにじっくりと進行する。十数年前のGTAでは、淡々とした日常生活の最中にいる依頼主のもとに主人公が無言で現れ、買い物でも頼まれるように、始末する人物のリストを受け取り、無言で現場に向かっていたが、そんなアッサリした演出とは大違いだ。

 ロックスターにとって、RDR2のように人物を丁寧に描写するストーリーというのは、ずっとやりたかったことであり、やっとできるようになったことなのだろうと、プレイしながら思っていた。ストーリーとは関係のないフリーローミング(チャプター2から解放される)のゲームプレイにおいても、無闇に悪事を働かせるような作りにはなっておらず、悪事を働くか、人道的な行動を取るかは、プレイヤーがする "選択" であるというようにデザインされている。因みに私は、指名手配され追われる身となるのも面倒なので、基本的には大人しくしており、助けを求める人には、報酬や、その後に起こるかもしれないイベントのフラグなどを目当てに手を差し伸べたりと、まぁ善人プレイと言っていいプレイをしている。 "選択" としてデザインされていると言ったように、こういったプレイでもゲームはきちんと成立するようになっているわけだが、それと同時に、やはりお金が欲しくて魔が差す…ということも自然に起こり、プレイヤー各々の目的の延長に "適度な悪事" が入り込む余地もある。そうした "選択" の場面は、街の中や、道ですれ違う人、キャンプをしている人、人里離れた民家など、世界中に散りばめられている。登場人物の感情を丁寧に描くストーリーにせよ、NPCをただ殺されるだけの人形にはさせないゲームデザインにせよ、ロックスターのオープンワールドゲームが、こうも品性や誠実さを纏うところに辿り着いたのかというのが、私がRDR2をプレイし最も強く感じることだ。

 また、植物・動物・魚など、特に動物がそうだが、単に飾りとしてフィールドに存在しているものはほぼ皆無であり、それぞれの資源が、この世界に存在するべくして存在しているという、世界そのものを創ってしまったと言っていい力技によって、クラフト要素や食事要素が無為で単調な作業ではなく、その世界で生き抜く為にすべきこととして自然に受け入れることができる。非常に広大なマップの移動手段として、いつでもどこでも好きな場所にテレポーテーションできるようなシステムはなく、基本的には馬による移動が最も多くなる。鞍を着けている馬がメインの馬となり、馬は、プレイヤーキャラクターのアーサーと同様にライフやスタミナなどのステータスが存在し、アーサーと馬、両方のステータスを管理するため、長旅に回復・補助アイテムが必要となる。場合により、所持金を消費することで駅馬車(タクシー的な馬車)や列車によるファストトラベルに近い移動も可能ではあるものの、それも含めて、こういった要素は面倒くさいと一蹴されたりもするだろうけれど、私は、せっかく作り込まれた世界との関わりを尊重していることは好ましく思う。何より、RDR2の世界には、間違いなくそれ程深く関わるだけの価値があることに、どうしても正義がある。

 しかし、2018年にロックスターが辿り着いたその形に、それまでのロックスター製オープンワールドアクションゲームのようなカジュアルなエンターテイメント性を予想していたと思われる層から戸惑いの声が湧き上がってくることに、ロックスター側に責任はあると思っている。まず、ハッキリと言って、システムUIを含む操作系全般の設計の醜悪さは看過できない。無駄に多い長押し操作は、長押し操作である必要性に疑問を感じる操作が少なくないし、その都度長押し判定が鈍いのもストレスフルだ。

 アイテムを取得する・馬に乗る・NPCに話しかける等のインタラクション(働きかけ)操作は、一律に画面右下に当該のボタンが表示されるが、他のゲームでは、こういったインタラクション操作は画面中央下部であったり、インタラクションする対象の付近に当該のボタンを表示するのが一般的である。プレイヤーがゲーム内の対象に働きかけるとき、プレイヤーの視線は、カメラが常に中央に捉え続けるプレイヤーキャラクターや、対象そのものに向けられているのだから、他のゲームのようなUIが合理的だと思う。RDR2は、多くのインタラクションが存在するゲーム内容であるだけに、他のゲームとは異なる直感的でないUIを採用するという判断は理解に苦しむ。没入感を高めるためにUIを目立たないようにしているつもりだったりするのだろうか?そうだとして、結果的に採用されたUIはあまりに不合理で、直感的で快適なゲームプレイを著しく軽視しているのではないかと思わざるを得ない。

 釣りの操作に関しては、自分以外に不満を垂れている人は今のところ見かけていないが…繰り入れる操作が右スティック回転というのは最低なセンスだと思う。現在の私の進行時点から更に先に進めると、強化された釣り竿などが手に入ったりするのかもしれないとは思うが、大物との長い格闘でずっと右スティックを回転し続けていたら、翌日は右腕の痛みで目が覚めた。

 …と、ここまで操作系の醜悪さを厳しく指摘してきたが、仮に、ゲーム自体がキビキビとテンポよく進むものであったなら、この操作系でも、それ程厳しい指摘はしなかったかもしれない。RDR2の場合は、プレイヤーキャラクターの一つ一つの動作が、リアリティを表現するために非常に緩慢であり、ストーリー演出時においては、プレイヤーキャラクターの操作は強く拘束される。プレイヤーにとっての拠点ともなるギャングたちのキャンプでは、仲間との日常会話などが発生するため、ストーリーを進行する気がなくとも、拠点にいる限りは常にストーリーを演出しているのと同様で、拠点では強制的に歩くことしかできなくなる。この窮屈さの例えとしては、「ダークソウルで装備重量を超過した状態」を推したい。

 普段、あまり意識はしないことだが、ゲームのプレイヤーキャラクターの動きというのは、ゲームプレイの快適さのために意図的に非現実的な動きに調整されている。歩行速度なども、現実的な人間の歩行速度よりは速めに調整されている。そういった調整は、「必要な嘘」だ。MGSVやゼルダの伝説BotWなどは、視覚的に自然な表現と、優れたゲームプレイのための巧みな嘘を、極めて高いレベルで統一している作品だ。私は、RDR2をゲームとして美しいものに仕上げることは可能だったと思う。シミュレータとして心地よくあろうとするのなら、ゲームコントローラでの操作系に落とし込むのは、むしろビジョンを制限してしまっているのではないだろうか。いずれにしても綺麗にはまとまっていないので、正当化するには苦しいだろう。

 

 RDR2は、現代のゲームの答え合わせのようだと思う。5年前、GTAVをプレイしたときにも、そう感じたように。肯定も否定も、これから出てくるゲームが、いかなる部分をより研ぎ澄まし、また拡大するのかを見定める基準になる。ロックスターは、2018年のビデオゲームができることを総括した。とてつもなく巨大な質量をビデオゲームというフォーマットに詰め込んだこの作品は、私を含める世界中の数多くのゲームファンにとって、拒む理由が無かったのは確かだ。

 最後に、RDR2のスクショを幾つか貼っておこう。個人的に、ゲームにおける空の表現に執着しているところがあるのだが、RDR2の空の表現は、快晴の空も、曇った空も、夜空も、完璧だ。無論、雲はリアルタイムで動いている。素晴らしい。

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 ストーリーについては、ジャックが堅気の世界で健やかに育っていけるなら、ギャングは崩壊でもなんでもすればいいと思っている。流れゆく時代によってギャングたちが居場所を失いつつあるという背景は、色んな意味で救いがある。どうせ終わるんだから最後まで自由でいようという気持ちにもなり、せめて守るべきものを守り通して終わっていこうという気持ちにもなる。

 

2018/11/15 追記

Twitterにてエピローグクリア後の総評。スレッド化しての複数ツイート。