長めの独り言置き場

家庭用ゲームの話題中心に、書きたいこと書いていきます。

20代ゲームファンがSwitchでのゼルダの伝説BotWのプレイを経て見つめ直す家庭用ゲームの変遷・下

前の記事からの続き

 

さて、ここまでBotWの感想を書いてきたけれど、これはいわゆるレビューというような、ゼルダの伝説ブレス・オブ・ザ・ワイルドという作品に評価や判定をくだすものではない。

ゲーム内容の特定の部分に集中しているから、いずれにせよ未プレイの人の参考になるようなものではないだろうけど。

個人的な感想は充分に語れたので、ここからは俯瞰的なことについて話していく。

 

最近、ゲームに対して「モダン」という言葉が用いられているところをよく目にする。

「今風」くらいのニュアンスに捉えていればいいのだろうけど、辞書に載っている意味としては、「現代的」や「近代的」と説明されている。

私が日本語でそういった表現がされているのを最初に見たのは、FINAL FANTASY XVだった。

FFXVゼルダの伝説BotW同様に、開発体制が大規模に刷新され、過去作から続くある程度定型化されたゲームデザインが大きく転換された作品だ。

単純に解釈して、オープンワールドになった最新作のFFやゼルダがモダン、つまり現代的・近代的ということは、オープンワールドになる前のFFやゼルダは現代的・近代的ではなかったということになる。

スタンドアロンのFFとしてFFXVの1つ前の作品であるFINAL FANTASY XIIIが発売されたのは2009年で、ゼルダの伝説BotWの1つ作品の作品であるゼルダの伝説スカイウォードソードが発売されたのは2012年。

その時期には既に、オープンワールドという言葉はある程度ゲームの話題を追っている人には浸透していたように記憶している。

アサシンクリードGrand Theft AutoオブリビオンFalloutなどの海外製のゲームの認知度と共に。

私はゲーム開発者ではないし、そういった知識に詳しい自負も無いので、ほとんど聞きかじった話と印象に依った話にはなってしまうけれど、00年代に、自社プラットフォームに向けて開発する任天堂SCE(現SIE)も含めた日本のソフトメーカー各社が、家庭用ゲーム機のハードウェアとしての性能向上に伴うゲーム開発における技術水準の高度化や複雑化への対応に倦ねていた頃、同時期に家庭用ゲーム市場に新規参入したマイクロソフトは、PC向けOSであるWindowsでの経験を活かし、PC向けに開発されたゲームの家庭用ゲーム機への移植の容易さを、他のプラットフォームに対する優位性に据えていたと認識している。

私は、その頃起こったこととは、PCゲームの開発現場における技術の家庭用ゲーム業界への流入なのだと思っている。

家庭用ゲーム機を主軸に開発してきた国内のソフトメーカーにとって、00年代後半から10年代前半は、家庭用ゲームの開発現場に新たにもたらされた技術体系を学び、取り入れる期間だったのではないか。

現在開発されるゲームは、近代において定着した技術体系に基づいている程、近代的・モダンなのだと思う。

BotWのオープンワールドは、見えているところはどこまでもシームレスに行くことができ、世界のどこにいても、同じ物理法則がプレイヤーを含む世界に存在する全ての物体に働く。

そのプレイ感覚はまさにモダンな体験であり、2017年現在のビデオゲームが到達した最も発展的で豊かな体験に、衝撃や感動を味わう人もいるのだろう。

純粋な家庭用ゲームが近代的技術体系をものにし、時代の到達点たる完成形を産み出したことは、家庭用ゲームが真に発展し、新たな段階に訪れたことを意味するように思う。

34年前に家庭用ゲームというエンターテイメント産業の基礎をハードウェア・ソフトウェアの両面において完成させ、日本を含む世界に定着させた任天堂が、2017年現在、主にいわゆるコアゲーマーと呼ばれる層に向けて、オープンワールドというフォーマットに今発揮できるクリエイティビティの全てを注ぎ込み、ゼルダの伝説ブレス・オブ・ザ・ワイルドを作り上げたこと。

そして、それが世界中の多くのゲームファンから熱烈に称えられ、歓迎されたこと。

このことは、私自身の人生の半分以上の時間を通して追い続けてきた家庭用ゲームの現在地の測位が改められるような出来事であり、自らの感覚でBotWを咀嚼し、飲み込まなくては話をまとめるには至れなかった。

私は、任天堂が今、BotWを世に送り出してきたことを受け止めたい。

正直個人的には、BotWは大満足かというと微妙だけど、満足だろうと微妙だろうと、受け止めたい。

その為にはちゃんと整理しなきゃいけない。BotWすごい!Switchいいんじゃない?では駄目だ。

任天堂が、ひいては家庭用ゲームが、BotWに至る道程はどういった道程だったのか。ちゃんと整理しないと、私は飲み込めない。

Nintendo Switchは、コンソールの縦軸の可能性ではなく、横軸の可能性にアプローチをかけた。

私はそれを受け入れられる筈だけど、やはり性能の追求という縦軸へのナチュラルな欲望もある。

欲しがる自分と受け入れられる自分と、ちゃんと折り合いをつけておきたい。

Switchは据置機であり携帯機でもあるハイブリッドなコンソールである為、人によって、Switchが基本的には据置機であるか、携帯機であるかの判断は分かれるだろう。

私は、ゼルダの伝説BotWは据置機水準のコンテンツであり、据置機モードでプレイして然るべきだと思っているので、携帯機モードでのプレイは選択肢として捉えている。

ハードウェアの技術革新がその選択肢をプレイヤーに開放した。

飽く迄、ベースは据置型コンソールが提供する体験の文脈だ。

 

Switchに関する話については、個人的には据置機の水準を満たすコンソールであると認めるに相応しいと考えていることだけ言えれば充分ではあるのだけど・・・携帯型家庭用ゲーム機について思ってきたことなどと話し出すとキリがないし。

まぁ、DSの時期にはまだ据置機の代替論などは受け入れられなかったが、3DSとびだせどうぶつの森を遊んだことで、携帯機に対する意識に変化があったということは軽く触れておく。

どうぶつの森シリーズは、今でもGCどうぶつの森+が最も思い入れのある作品で、おいでよどうぶつの森から「携帯機のゲーム」のような印象が付いていったことには、ずっと抵抗があった。

とびだせどうぶつの森は、3DSまできたら性能的にも据置機での体験と遜色ないところまできたのも確かだと思い、抵抗を感じつつもプレイしてみたら、ゲームとしてもちゃんと進化していて、どうぶつの森シリーズの特徴である時間の流れを実社会と共有しているところと、外出中に村の様子を軽く確認できたりする携帯機の優位性は実際に相性が抜群で、悔しながらにとび森には一時期ドハマリしていたのだった・・・。

とはいっても、どうぶつの森シリーズが今後新作を出すにあたり意識してほしいのは、マインクラフトがもたらした日本におけるサンドボックスゲームの波だと思っていて、どうぶつの森の世界で時間を忘れてずっとハニワを掘り当てたりしたいわけだけど・・・

スマホ版はどんなものになるんだろうか・・・手のひらに収まるコンパクトなどうぶつの森が人々の望んだどうぶつの森という答えを任天堂が出さないことを私は願っているが、Switchの存在が、任天堂を信じられる根拠になる気がしているのである。

Switchがハイブリッド機であることは、これから任天堂が家庭用ゲーム機向けにゲームを作る場合、据置機に出すことと携帯機に出すことの両方を意味する。

このゲームは据置機向けで、このゲームは携帯機向けとか、そういう振り分けはもう意味を持たない。

最近のSwitchに関連するニュースでは、Switchでのインディーゲームの売れ行きが好調というものがある。

VITAでもそうであったように、インディーゲームの品揃えが最も豊富であるPC向けプラットフォームのSteamを差し置いて家庭用ゲーム機でインディーゲームをプレイすることのプレミアとは、ハンドヘルドのスタイルで遊べることにあるのではないか。

私は、家庭用ゲーム機が今後向き合っていかなければならないのはSteamだと思っている。

Steamがあればゲーム機はもう要らない、という意見を耳にすることは年々増えていて、PCの汎用性と拡張性が、ハードメーカーによって環境が固定された家庭用ゲーム機の課題を浮き彫りにしているのは確かだ。

そのような不利な状況において、Steamではなくあえて家庭用ゲーム機でインディーゲームが購入されるという事例は、今後の家庭用ゲームの立ち回りのヒントになるように思う。

現時点では完全に私個人の妄想に過ぎない話として、SIEがSwitchのようなPS4のハイブリッドモデルを展開する可能性もありそうな気がしている。というかアリだろう。

 

・・・あと、書くタイミングを逃してしまったので取ってつけたようになってしまうけど、Switchのプロコンはめちゃくちゃいい。

バッテリーの持ちが凄まじいし、HD振動は技術屋としての任天堂を評価してもいい部分な気がする。

ゲームパッドは家庭用ゲーム機を定義付けるファクターだと思うから、そこが強いのはSwitchのコンソールとしての完成度をかなり底上げするんじゃないだろうか。