かつて家庭用ゲームにおける定番ジャンルとされたJRPGについて
個人的な引っ掛かりを解消したいだけの完全な自己満足の内容である為、無遠慮な分析や詮索については、もしこの記事が目について気分を害された方がいたとしたら、予めお詫びしておく。戯言としてスルーしてもらえたらありがたい。
以下、JRPGに縁のないゲームファンとしての、家庭用ゲームとJRPGの関係についての考察及び所感
ドラゴンクエストⅪが、初週販売200万本という、近年の家庭用ゲームの国内市場では稀に見る驚異的な好セールスを記録。
ドラクエが名実ともに国民的な老舗シリーズであったからこその結果なのもあるが、まだ大衆は積極的に家庭用ゲームで娯楽を消費し得ると、家庭用ゲーム産業を前向きに評価できる好材料になるのが、今回の結果が業界全体にとって明るい話題になるところ。
ゲームファンとしての視点では、求められたものを、求められた形で、求められる場所へ、正しく提供したことが功を奏したのだろうと思っている。
大人になり、ゲームにまとまった時間とコストをかけることが難しい人や、技術的な進歩よりも、変わらないドラクエのセオリーに心を寄せる人には、2Dのドットモードが用意された携帯機の3DS版
ゲームはやはり大画面で腰を据えて遊びたいという拘りがある人や、最新の技術の恩恵を受け、今体験できる最もリッチなドラクエを求める人には、最新のゲームエンジンで作り込まれた据置機のPS4版
幅広い層をターゲットにしたシリーズとして、現在の家庭用ゲームの状況への包括的な対応は英断と言える。
尚且つ、「いつものドラクエ」の形にもしっかり落とし込んでいる様子。
この正しさが、市場の素直な結果としても表れたのだと思う。
ここまで書いておいて、少し言いにくいことだけれど、自分自身はドラゴンクエストというシリーズをⅠ作もプレイした経験はなく、最新作も含めプレイする意志は今のところは持ち合わせていない。
語るべき立場ではないことを承知した上で、この話題について触れるのは、去年辺りからジャンルとしてのJRPGを個人的に観察・研究しているから。
JRPGという呼称に拒否反応を示す声もあるが、誤解を恐れずこの呼称を用いる。
ここで扱う大まかな定義としては、個別のフィールドにアクセスするプラットフォームとしてのワールドマップ
エンカウント制、ターン制バトルなどを基礎的なシステムとしており、その体系的な構造の中で発展・変質したものまでを含める。
これまで私は、JRPGに類する作品をプレイした経験はほとんど無いのだが、リアルタイムに家庭用ゲームをプレイしてきたN64からPS2の時代まで、JRPGは家庭用ゲームにおいて主要なジャンルであったことを後に見聞きする。
その流れは私が知らないFCの時代まで遡り、日本における家庭用ゲームの在り方を考える上で、JRPGの文脈は避けて通れないのだと認識した。
また、このジャンルは、PS2の後期以降、評価とセールスいずれの面においても、めぼしい結果を出す作品の不足が指摘されることが多かった印象を持つ。
PS3の時代には、Skyrimなどのオープンワールドの技術を採用した海外製RPG作品の先進的な体験を称える国内外のゲームファンにより、JRPGの様式が引き合いに出され、批判的な論調で語られているのをよく目にした。
個人的にJRPGに対して抱いていた印象としては、「なぜこのジャンルが定番と言われるのだろう」という率直な疑問。
私がビデオゲームという媒体に惹かれるきっかけになった作品はN64のスーパーマリオ64だった。
私にとって、ビデオゲームという媒体において、個人の時間を費やす家庭用ゲームのスタンダードな様式は、スーパーマリオ64のような箱庭型の3Dアクションゲームであり、それから7年の月日が経ち、国内のPS2でGrand Theft Auto Ⅲが発売されプレイするまでの間にも、自分の認識に齟齬を感じることはなかった。
GTAといえば、今であればオープンワールドのゲームを象徴する代表的な作品に数えられると思うが、オープンワールドという言葉は、それから数年後にインターネットで知る。
当時、日本のメーカーと比べてこの分野の技術開発に積極的であった海外のゲームメーカーが、オープンワールドの技術を採用した作品を相次いで投入し、そのような状況の中で、オープンワールドの技術とは断絶されたジャンルの作品が、ニッチ或いはクラシックとして認識されるのは、当然のこととして受け取っていた。
PS4の時代に入ってからはオープンワールドの技術は一般的になり、国内のメーカーからは、ゼノブレイドクロス,MGSV,FFXVなどが投入され、いずれの作品も海外のメディアやゲームファンからの高い関心を集めた。
今年の初頭に世界中のゲームファンの期待の中、満を持して発売を迎えたゼルダの伝説BotWが、ワールドワイドで大ヒットしたことは記憶に新しく、オープンワールドのゲームとしての完成度は極めて高い評価を受けている。
BotWは、2010年代以降の定番を国内メーカーが提供できることを、日本を含む世界中のゲームファンに知らしめた作品と言える。
そんな熱狂の裏で、ペルソナ5という作品が、BotWに匹敵する程の絶大な評価を受けていた。
ペルソナシリーズは王道のJRPGではないのかもしれないが、ゲームデザインの性質は凡そJRPGの文脈で語られるように捉えている。
ここにきて、JRPGが評価され、ゲームファンから熱い視線を集めるということが非常に興味深かった。
ペルソナ5に関しては、クリアには至っていないけれど自分自身もプレイしている。
JRPGのセオリーに則った洗練された様式と、独特な仕組みが上手く調和されたゲームデザインは、自分にとっても新鮮なゲーム体験であり、定番ではないが人々に愛されるJRPGの在り様を見たように思う。
ドラゴンクエストに話を戻す。
ドラクエ11の発売日に、SNSの反応に目を通していて思ったのは、このシリーズには、今現在の国内の一般的なゲームファンとしては高い年齢層のファンが取り分け多く、また、同世代同士で、家庭用ゲームに纏わる思い出を普遍的に共有しているということ。
今では、普段は家庭用ゲームをプレイしなくなっているけれど、ドラクエだけはゲームハードと同時に購入してプレイする・・・
そういった心理を、自分なりに読み取るならば、彼らにとって、個人の時間を費やすに相応する家庭用ゲームの重厚長大なエンターテイメント体験は、ドラクエの様式によってできるゲーム体験そのもの、なのではないかと。
それは更新されるものではなく、何らかが付け加えられるものでもない。
つまり、JRPGの様式は遥か昔に既に完成している、という答えに行き着いた。
現在のオープンワールドの源流たる箱庭型の3Dアクションゲームが家庭用ゲームに登場したとき、それはJRPGとは異なる文脈として始まっていたのだろう。
今現在において定番となったその文脈がまだ存在しない時代、個人の時間を費やすエンターテイメントとしての家庭用ゲームを、JRPGの様式が定義した。
だから、ドラクエと共にその時代のゲームファンが帰ってきて、彼らの知る「家庭用ゲームでできる体験」に一斉に身を投じる。
ドラゴンクエストと並ぶ“国産RPG”シリーズとして、ドラゴンクエストと同等の知名度と歴史を持つFINAL FANTASYシリーズに関しても、家庭用ゲームとJRPGの関係を考察する上で言及すべきだと思うのだが・・・
シリーズの立ち位置を問う条件が複雑な為、いかに言及すべきか少々迷う。
個人的に思う要点にのみ触れると、このシリーズはFINAL FANTASY Xを最後に、JRPGの類型から徐々に離脱していく道を選択しているように見受けられる。
JRPGが家庭用ゲームで定番として成立した境界線も、その時代と重なる。
その選択は、シリーズを通してのファンの望みとは裏腹なわけであるが、飽く迄も、どの時代においても定番として認識される在り方に重きを置いたのだろう。
最新作であるFINAL FANTASY XVにおいては、常に挑戦するFFシリーズとしての矜持を以って、JRPGの類型を完全に捨て去ることを明確に正当化した。
私自身は、国内メーカーが今の時代の定番と言える作品を送り出すことが単純に喜ばしく、FFシリーズの選択を、FFXVの発売前から現在に至るまで支持する立場だが、ペルソナ5やドラクエ11に纏わる反響を見ていて、セオリーを守る正しさも目の当たりにした。
いずれにしても
ここ最近は、家庭用ゲームに関する前向きなニュースを聞くことが多くなってきている。
それぞれが、見据えた正しさに向かって滞りなく力を尽くせるようになってきているのだろう。
定番であろうと、クラシックであろうと、何であろうと、それが今正しくあることで、家庭用ゲーム全体があるべき正しい姿に近付いていっている。
そう思う。